<藤原 通信530>習慣と常識の作り方

こんにちは、藤原です。

あなたは、インターネットを使い
買い物をしていますか?

おそらく、

僕の会に参加されている人は、
インターネット越しに学んだり
決済することに対しては抵抗が
少ないかもしれません。

が、

世の中の人は、違います。

これだけ、インターネットが
盛んになった現代であっても、

まだ、インターネット上で学び
決済することは異常だと感じて
いるのです。

ただ、

今の時代「自分はやらない」と
意固地になったところで時代に
おいていかれるだけです。

なぜなら、

その数が集まれば、どんなもので
あっても正義となり、習慣となる
からです。

それが、

非道徳的で、
悪いものであってもです。

例えば、

戦争や人を残虐的に痛めつける行為は
道徳的にも法的にも認められていない
ことです。

しかし、

それは、日本国内にいるからこそ
通じる常識だということです。

これが、戦争を勃発させている国で
あれば話は別です。

ただ、

これは、今後の日本もどのように
変わるか分かりません。

なぜなら、

ほんの数十年前まではインターネット
さえあれば仕事ができるなどとは想像
もしなかったと思います。

そして、

その流れについていけなかった商店街は
今やシャッター通りとなり昔の活気など
1mmの欠片も感じられません。

ただ、

この現状が重要ということではなく
今の常識が、この先も通用するとは
限らないということです。

しかも、

その常識は、法律など関係なく周りの
意見の集合体が常識を塗り替えるという
ことです。

ようは、

常識とは「周りの意見の集合体」です。

そして、

この常識は、小さくとも範囲を決め
ルールを決めることで生み出すことが
可能となります。

これを上手く活用しているのが、
宗教団体であり、企業なのです。

例えば、

英語を社内の公用語にするという
ルールを設けた場合、

英語が習慣となり常識となります。

このように、

範囲とルールを決めることで、
常識というものは「簡単に作れる」
ということです。

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